活動報告

第2回活動報告

mixi内のコミュニティでの報告以下に転載します。 第2回の活動報告をします!

●活動日
2011年3月18日(金)

●救援物資
おにぎり 2,111個(味は全て塩味)


●救援場所
石巻市立鹿妻小学校
避難者数:約1,700名(3/19現在)


●救援物資作製者
湯本、佐々木、久保、杉江、石原、石川、工藤(新)、今、今野、鈴木(康)、田山、中谷、進士、水野、田路(以上ラクーンテニスチーム)、ジェット・ジャガーさん
計16名


●第2回救援部隊
湯本雄一(Raccoon 22代)
佐々木友悟(Raccoon 23代)
中谷友哉(Raccoon 25代)
田山奈央子(Raccoon 25代)
今野ふみ(Raccoon 26代)
武山愛(Raccoon 27代)
齋藤智樹(Fine 27代)
小井塚裕一(S.I.T.C 30代)
計8名

●報告
別トピックでも書いたように今回はおにぎりのみを届けることにしました。
多くの方の情報提供により、出発前日に無事ガソリンを確保することができました。お米を提供してくださった方、支援金をくださった方の名前を後日載せていきたいと思います。

では報告いたします。

10:20 仙台出発
前回は利府街道から鹿島台を迂回して石巻に行ったが、三陸道の利府中ICで警察官に事情を説明したところ、緊急車両扱いにしてもらったので、混雑なく石巻河南ICまで行くことができた。
第1回同様、まず蛇田中学校へ向かった。

11:30頃 蛇田中学校到着
避難所のリストを見せてもらおうとしたのだが、市役所の職員はリストが手元にない状態で、最新の情報は石巻市役所に行けば手に入るということだったので、市役所へ向かった。

12:30頃 石巻市役所(新庁舎)到着
蛇田から向かう際、石巻街道と呼ばれる商業地域を通過したのだが、車は折り重なっていて、ガソリンのタンクをこじ開けられている車もあった。また、津波による泥土が道路を覆っていた。


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市役所は最近まで1階部分が浸水していたので、2階、3階を本部として運営していた。石巻地域の避難者リストには長蛇の列ができていて、さらに膨大な数の避難者数で探し出すのは極めて厳しいと感じられた。今回、安否確認をしてきてほしいという方から教えてもらった名前を調べたが、途中で断念してしましました。すみません。

災害ボランティア担当部署に行き、緊急を要する避難所を訊いた。石巻中学校、門脇中学校、鹿妻小学校には物資が行き届いていないとのこと。そのなかでも鹿妻小学校が1,700人と大勢の避難者がいるので、今回の2,111個を届けるには最適な場所であると判断した。職員に鹿妻小学校に行き、後でまた報告に伺うと告げた。

14:00頃 鹿妻小学校到着
女川街道を通り、小学校に向かったのだが、街道のど真ん中を津波によって流された住居がふさいでいるなど、道路状況は石巻市街よりも悪かった。迂回を何度も行い鹿妻小学校に到着。
本部に物資を届けに来た旨を伝え、代表者の内藤さんに事情を説明した。2,111個のおにぎりを持ってきたと言うととても驚いていて、穀物が大変不足していたので助かりますとおっしゃっていた。鹿妻小学校は最近ようやく自衛隊と国交省が道路の整備を行い始めたので、今まで物資はヘリコプターでたまに来るくらいだったらしい。食料問題は深刻ですっとおっしゃっていたが、鹿妻小学校小学生はとても元気で、おにぎりの搬入を手伝ってくれたり、廊下の掃除を行ったりしていた。逆に30代〜40代の大人は、寝ているなど働いていない人が多く見られ、こういうときにみんなで協力しないといけないのに、と残念に思った。

小学生など若者が動いていたので、第1回の時のように手伝うことがなかったので、おにぎりを渡して小学校を後にし、市役所に戻った。

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15:30 石巻市役所到着
職員の方に報告を行った。今後の活動の参考として避難所のリストをいただき、現状の通行可能な道路状況を教えてもらった。ただ、避難所の状況は逐一変わるので次回救援活動を行うときには、まず市役所に行って状況を確認してから物資を届けることにした。

その後、避難者リストのデジタル化を行ってほしいとリストをまとめている職員の方に進言したところ、今日からやっと始まったとのこと。しかし、人手が足りなく完成には時間がかかるらしい。私たちが仙台に持って帰ってデジタル化を行ってもいいですかと申し上げたが、ありがたいが個人情報なのでできないと言われた。

今回の活動はだいたい終わったが、時間があったので仙台に帰る前に女川地域の様子を見てみることにした。


16:30頃 女川地域へ向かう
石巻の沿岸地域は、車が乗り上げ、建物も1階部分が壊滅状態と「半壊」なところが多かったが、女川に行ってみて驚愕した。

建物の形もないくらいの「全壊」だった。

建物がほぼないため港から山間部が丸見えだった。
そこらに死体が転がっていると思うとゾッとした。

女川は石巻よりも甚大な被害だった。



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戻るときにはもう日が暮れていた。そのせいで、道がどこにあるのかがわからなくなってしまった。ナビや石巻の後輩を頼りになんとか戻ることができたが、日が暮れる前に帰らないと危険であることがわかった。


20:00頃 仙台到着
帰りは夕方のため渋滞につかまり時間がかかったが、無事に到着した。


しかし、翌朝車に乗ると左前のタイヤがパンクしていた。注意して運転したのだが、瓦礫道をたくさん通行したためタイヤを傷つけてしまったらしい。朝早く修理に出し、無事にタイヤ交換してもらった。
次回はより注意して運転しないとダメだとわかった。

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●考察
今回はおにぎりのみの供給を行ったが、予想通り、飲料水は避難所にたくさんあったので持っていく必要はあまりなかった。避難所にはお米の配給があまり行われていないことが再確認できた。次回の活動も今回と同様におにぎりの供給を行おうと思った。

また、女川地域の壊滅状態を目の当たりにし、今後女川地域も対象地域に入れて検討していこうと思う。

今後、インフラ整備や物資の供給が進むと今までのようなおにぎり作戦はあまり効果がなくなる可能性が考えられる。その場合、別の形の支援をかんがえなくてはならない。
食料が十分量供給されてくると、次に必要なものは衣類だろう。また、仮設住宅の建設が進んだ場合、住宅で生活していくのに必要な日用品、テレビなどの電化製品が必要になってきて、私たちの力では限界があるものが増えてくると予想される。

しかし今は、今必要とされているものを1秒でも早く、1つでも多く届けることが重要であると思うので、これからもみんなで力を合わせて頑張っていきたい。

次回の活動は22日あたりを予定しています。

みなさまの支援のおかげで、私や仲間たちは本当に支えられています。
私たちの活動にこんなにもたくさんの方に協力していただいて感謝しています。同時に責任ある行動をしていかなければならないと気が引き締まります。

今後もみなさまの協力によって、活動範囲、活動能力を拡大させていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

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